デヴィ夫人は若くして結婚。社交界の華を経て実業家としても活躍。結婚観や美の秘訣は?

年を重ねてますます麗しく気品にあふれ優雅で、大活躍中のデヴィ夫人についてご紹介します。

デヴィ夫人の華やかで波乱に満ちた軌跡

マスコミ

テレビ番組その他のマスコミへの出演は絶えず、「選ばれる女におなりなさい、同タイトルのコミック版、「選ばれる女がやっていること」「言い過ぎてごめんあそばせ」など多くの著作を出版されています。

  引用 amazon.co.cp デヴィ・スカルノ回想記(草思社 2010年)

2019年7月からはご自身のYoutubeチャンネル
デヴィ夫人-Lady.DewiChannel
で様々な活動の様子を公開されていたり、豊かな人脈をもとに各界の著名人を呼んで含蓄に富むトークを披露されています。

一流人物との人脈や活動範囲

Youtubeチャンネルを視聴すると、モナコ公国へ渡航されるなど海外を股にかけて日々活動されている様子や、若い芸術家育成のための活動にも貢献されていることががうかがえます

日本を代表する美容家のたかの友梨さんとの「美の頂上対談」では、デヴィ夫人の美についての考え方を垣間見ることができます。
妙齢の女性のみならず全女性にとって魅力的な内容になっています。
いつまでも美しさを保つ秘訣や、人間的な品性を磨く基本も知りたいですね。

 

豊かな才能とキャリア

複数の外国語を操る

デヴィ夫人は、東京都生まれ。

英語・インドネシア語(マレー語)・フランス語を自在に操り、もとより港区生まれですので日本語も上品な山の手ことばが身に付いていて、エレガントな会話を交わされます。

大統領夫人となり妻の立場で海外生活を送っただけではなく、自らフランスなど外国での実業経験もあることから、人並ならぬ知性や意志力を兼ね備えた努力家であることが推察されます。

元インドネシア首相に見初められる

一見華やかな人生に見えますが、美しい女性であるだけでインドネシアの首相に見初められて結婚にまでいたったのでしょうか?結婚までの道もその後も、順風満帆で平穏な人生を送ったわけではないようです。

・デヴィ夫人がどのようにして外国元首と結婚に至ったか、
・その後荒波にもまれることもあったご自身の苦難の時代を、どのような思考で乗り越えたか、
可能な限り辿ってみたいと思います。

結婚するまで

デヴィ夫人は、インドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人となるまでの日本名は根本七保子さん。
スカルノ元大統領との間にお嬢様がいます。

インドネシアとの縁

デヴィ夫人は1959年にインドネシアの開発に伴い、日本との外交を重視するスカルノ大統領の元に企業の秘書として赴かれました。
インドネシアはイスラム教徒が大半の国家です。
21世紀に入って人口 2億人を超え、2023年時点で2億7千万人、毎年300万人以上増加し、平均年齢29歳の若い大国です。
 引用  在インドネシア日本国大使館

スカルノ元大統領と結婚

スカルノ大統領はインドネシア建国の祖といわれます。間もなくデヴィ夫人はスカルノ大統領と結婚し、第3夫人の地位を得ます。

イスラム社会やアフリカの一部部族は、一夫多妻制です。
一夫多妻制のもとでは、夫には複数の妻と婚姻したとき全ての妻を保護し扶助し、平等に扱う義務があるので、男性として相応の度量や経済的力量が必要となります。

なお歴史をひもとくと、日本では明治時代前半まで妾と呼ばれる女性が存在し、妻以外に夫から経済的援助を受けていました。
しかし、明治期に刑法や戸籍法が制定され、戸籍上から妾という地位は消え(妾制度制度の廃止)、明治31年の民法制定以降に一夫一婦制となりました。

フランスへ亡命

政変

1965年9月にインドネシア内の軍事クーデターがあり、スカルノ氏が失脚しました。
そのため、デヴィ夫人はフランスへ亡命します。

第一子出産

フランスへ亡命したころ、デヴィ夫人は祖国日本へも一時帰国しました。
この時期にお嬢様を出産されています。

スカルノ氏他界後

1970年、スカルノ氏が他界しました。
その後は、海外生活を送るかたわら、社会福祉事業や文化事業に注力され、芸能活動も行っています。

インドネシアから離れた後

海外生活

インドネシアでの政治活動から退いた後は、40年間の海外生活を送りました。

日本国内での社会活動などに軸足を置く

2000年には、パリに所有していた高級住宅を売却し、母や弟の眠る日本に帰国しました。
国籍はインドネシアのまま、日本国内で非居住者としてタレント活動や文化活動などを行います。

パリを離れる時にパリで居住していた住宅を売却し、売却で得たお金を日本の本人名義の個人口座へ送金しました。その時の売却金の送金に関してと、デヴィ夫人主催の音楽財団援に関して、のちに日本国の税務当局から辛酸を味わされたといいます。
出典 税務官僚に痛めつけられた有名人たち 副島隆彦著

デヴィ夫人の文化事業

ニューヨークでイブラ音楽財団を設立

1990年、ニューヨークでイブラ音楽財団( 米国の財団法人IBLA International Foundation)を設立し、クラッシック音楽のピアニストやオペラ歌手など音楽家の育成に力を入れています。

この財団では、世界各地から毎年200名余りのアーティストを集めてコンクルーを開催し、優秀な人に対しニューヨークマンハッタンのカーネギーホールでコンサートを行えるように支援しています。

カーネギーホールは、1890年代に鉄鋼王と呼ばれる実業家のアンドリュー・カーネギーにより設立されたコンサートホールです。音楽に携わる人なら、誰でもそのステージに立つことを志す音楽の殿堂ともいえるホールです。

日本でもイブラグランドアワーズジャパン(IBLA  GRAND AWARD JAPAN)を開催

日本でも音楽家発掘のためのコンサートIBLA  GRAND AWARD JAPANを開催されています。

デヴィ夫人は米国イブラ音楽財団のみならず、日本国内のクラッシック音楽家の発掘に力を入れイブラ・グランドアワーズ・ジャパンとしてコンクールを開催しています。
2020年以降、このコンクールで、ピアノ、弦楽器、管打楽器、ハープ、声楽、ギター、アコーディオン、邦楽、古楽などの部門ごとに参加者を募集しています。

このコンクールへの参加するための条件そのものには縛りはありません。年齢や出身の音楽大学を問わず、教授推薦なども必要ありません。
2020年は500名を超える応募者があり、2023年には第3回目が開催されます。

この音楽コンクールに参加するのに必要なのは、本人の努力と才能のみ。
決して有名な音楽大学を卒業している必要はなく、高名な音楽教授の推薦状も必要ありません。そして、年齢も問いません。
従来のコンクールとはまったく異なる画期的なコンクールです。

音楽業界では、有名なコンサートに出演して良い成績を上げなければ活動できないために、地道に努力していたらコンサートへの参加が認められる年齢を超えていたということも間々あります。デヴィ夫人は、才能がありながら埋もれた人たちに広く光を当て世に出そうとしているのです。

経済的な理由で音楽大学に行けず、コンクールに行く旅費もない、
コンクール参加に必要な教授の推薦上も得られない、
それでも音楽に対する情熱があり独学で研鑽してきた、
そのような人々を発掘しようとしているのは、デヴィ夫人の恵まれない生い立ちとも関係しているといいます。

音楽を愛し情熱や才能が有りながら、コンクールに参加するための障壁に阻まれて活動の機会を与えらなかった人々に、希望を与えています。

デヴィ夫人の社会支援活動

特定非営利法人アースエイドソサエティ(EARTH AID SOCIETY)設立

2005年、東京都渋谷区に特定NPO法人アースエイドソサエティ(EARTH AID SOCIETY)を設立しました。
この非営利法人は国境、言葉、歴史、文化を超え、世界中が愛で結ばれ平和になることを願っています。

アースエイドソサエティの活動

国内外の被災地や、紛争地帯の人々に食料や防寒具を届けています。
難民支援、環境保護、動物愛護、国内外の被災地支援、世界中の被災地支援のためのチャリティーパーティを開催するなど様々な活動を行われています。

動物への深い愛

デヴィ夫人は何匹もの愛犬と共に暮らしていて、常々保護猫や保護犬の存在に心を痛めています。

動物愛護に関しては、動物愛護に関する勉強会や犬猫殺処分ゼロに向けての活動に尽力し、動物虐待防止に関する陳述書を提出されています。

人間の事情で八幡平のクマ牧場に取り残され痩せてしまった動物へ食糧物資を届けるなど、様々な形で動物への支援活動を行っています。

動物福祉や生命尊重の視点から、デヴィ夫人ご自身も70歳を超えてから「愛護動物虐待防止管理士」の資格を取得されています。

デヴィ夫人の芸能活動

1970年代から開始

芸能活動は1970年代に開始し、世界的なセレブとしてタレントとして活躍しました。

容姿端麗な外見から、「社交界の華」と呼ばれ、各界要人との交流も深めました。スカルノ元大統領の夫人という立場から退いた後は海外中心の生活となりました。

海外生活から帰国し再びマスコミで活躍

数十年間の海外生活を経て日本に戻ってからは、テレビ番組のレギュラー、ドラマ、CM、映画など多彩に出演され芸能活動をおこなわれています。

パリに居住していたデヴィ夫人は、ココ・シャネルと音楽家イゴール・ストラヴィンスキーの物語を描いた「カンヌ国際映画祭」作品の「シャネル&ストランビンスキー」の試写会を鑑賞し、シャネルを愛用する大地真央さんと森田恭通さんご夫妻とも同席されています。

デヴィ夫人の結婚観・恋愛観

 引用 amazon.co.cp 選ばれる女になりなさい(講談社文庫 2022年)

結婚に大切なこと

結婚生活には、相手への尊敬と信頼と思いやりが必要と話します。
相手の気持ちを尊重し、思いやる気持ちがあれば喧嘩は生じないようです。結婚相手以外のときでも、他人を信用できなくなったときお互い心の溝は深まりますね。

愛のみで結婚して良いか?

美貌に恵まれ、才能豊かで大統領夫人の立場で生きたこともあるデヴィ夫人の結婚観はどのようなものでしょうか?

デヴィ夫人は、著書やメディアの中で、折に触れて男性の経済力について語っています。
夫人の見解は、人間は経済を基盤に日々生活しているので、愛があったとしても経済的に不十分な結婚生活であれば、いずれ男性との間は上手くゆかなくなるとのことです。

もしも自給自足の時代であれば、男性の筋力や体力が評価されるので、愛だけでなんとかなるかもしれないが、現代日本は資本主義社会なので、伴侶の経済力は重視せざるを得ないと話します。

たとえ好きで結婚した相手であっても、生活に困窮するほどの経済力ならば、いずれ相手への愛は覚める。その結果、男性への尊敬の念も失うことになるだろう。
反面、心底愛しているといえなくても経済力のある男性と結婚したなら、毎日の生活が豊かで余裕が生まれるので、自分のプライドは傷つくことはなく自尊心が満たされ充足感のある日々を送ることが叶う。

まとめると、社会的に有能で才覚のある男性と結婚すれば、男性への信頼が生まれ、その信頼は尊敬へと繋がり、そこから愛が培われ、物心共に豊かで幸せな結婚生活を送ることができる、と語ります。

夢破れて破局するカップルの大半の理由は経済的事情からくるといいますから、説得力がありますね。

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